罵声について考える(あるいは言葉の錬金術について)

 ご存じの通り私は自他共に認める非の打ち所のない紳士であるから使う機会など滅多にないのだが、「ちんぽ野郎」「ちんぽこ野郎」というのは罵声として割とよく用いられる台詞であろう(Google検索をかけると、ひらがな・カタカナ合わせてそれぞれ1,000余りのヒット数がある)。なかなかにイカス言葉であると思うが、しかし少々下品なため、私のようにおハイソでジェントル極まりない人間には使いづらいのが残念である。そこでそんな紳士淑女のために、この罵声を少し上品にアレンジしてみることにする。
 使いづらい原因としては、「ちんぽ」「ちんぽこ」という卑猥語が筆頭に挙げられると思われる。したがってまずはこの部分をより上品な単語に置き換えてみる。そんな場合よく「ペニス」という代替語が用いられたりするが、私はあまり好きではない。すぐに外来語に頼るのは良くないと思うのだ。まずは日本語にもとからある表現から先に探るべきであろう。すぐに思いつくだけでも「陰茎」「男根」「陽物」「逸物」「魔羅」「うまい棒」など、様々な味わい深い単語があり、日本語とはかくも豊かで美しい言語であるかと感心する。さておきこれらを順に「ちんぽ」「ちんぽこ」へ代入してみよう。
 まず「陰茎野郎」。陰茎という単語は医学用語として採用されているらしく、「陰茎野郎」と言っても「あなたは男性ですよ」という単なる宣言のような響きがあって、罵声にはやや適さない感じがする。次に「男根野郎」。男根というと男性社会や家父長制といった堅いニュアンスが感じられ、これも単純な罵声としては別の意味で使いにくかろう。また、「陽物」「逸物」「魔羅」「うまい棒」だとどれも褒めていて端から罵声にはならない。美しい日本語だからこそ、新しく罵声を作るのは容易ではないといったところか。
 実はここで私が強く推したいのは別にあって、それは「おちんちん」なのである。「おちんちん野郎」、これはなかなか素晴らしい。「おちんちん」に含まれる羞じらいの心と「野郎」という粗野な言葉のギャップがおかしみと奥ゆかしさを感じさせる。あくまで罵声でありながら丁寧に「お」という接頭語が付いているのも紳士淑女に優しい仕様である。
 次に気付くのは「野郎」という言葉も「ちんぽ」ほどではないにしろ口には出しにくいのではないかということである。ハイソな方々の間で市民権を得るにはこの後半部分も変える必要があろう。「野郎」の丁寧な言い方というとやはり「お兄さん」であろうか。
 そこで恐るべき事態が出来するのである。「おちんちんお兄さん」、これはもうどう考えても春先あたりに出現すると言われるロングコートの人のことを指しているではないか。要するに犯罪者であり、相手を犯罪者呼ばわりするというのは普通の罵声より余程ひどい。ジェントルな罵声というものを追求していった結果、より過激なニュアンスを秘めた言葉になってしまうとはまことに不思議な話である。これが単に「野郎」を「お兄さん」に変えたことによるものではないのは、「ちんぽお兄さん」ではそこまであからさまに春の犯罪者を指していないことからも明らかである。「おちんちん」「お兄さん」双方の言葉の持つ奥ゆかしさの相乗効果によって、このように劇的なまでの卑猥さが生まれたのだ。まさに言葉の錬金術と言えよう。まったく日本語というのは奥が深いものであると改めて感じ入る次第である。


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