ジャンルに関する一愚考

 所謂ジャンルというものについて私の考えるところを書いてみる。
 あるバンドなりそのバンドのアルバムなりを分類し、その分類に名前を付ける(=ジャンル分けする)ことは非常に便利で有効な方法である。聴く側にとってみれば、あるアーティストの音楽が気に入ったとき、同じジャンルに分類されている別のアーティストを聴いてみるという形で新しいアーティストを発掘することが容易になるし、売る側にとっても「これはこういう音ですよ」と、予め存在する分類に従ってラベルをつけておけば、そのアーティストの音楽性を極めて簡単に説明することができ、売り込みもしやすい。
 しかしながら、こうしたジャンル分けという方式がそぐわない場合がある。ジャンル・クロスオーヴァーというか、様々な幅広い音楽性を身上とするアーティストの場合、もしくは何にも似ていない全く新しい音楽をやっているアーティストの場合はどこに分類すればいいのか困るのだ。それでも例えばCD屋ではどこか1つのコーナーに置かなければならないし、レコード会社にしてもラベルを付けた方がやりやすいから、無理やり既存のジャンルに分類したり、新しいジャンル名をでっち上げたりする。しかしこういうやり方(特に前者)にはどうしても違和感が残るわけで、そこでラベルを付けられた当のバンドが「俺たちは自分のやりたいことをやってるだけだから、ジャンル分けなんて無意味だよね」と言ってみたり、「俺たちのやってることはそこらの普通の○○(←ジャンル名)バンドとは違うんだから、そういうラベルを貼られて同じように見られるのは嫌だ」と反発が起きたり、はたまた「ジャンルはもうバンド単位ではおろかアルバム単位でさえ定義するのが困難な場合もあるから、曲ごとにジャンル分けするってことでいいよ」と言う人が出たり、といったことになる。
 これは、ジャンルを枠組みとして捉えることがそもそも違うのだと思う。例えば、メロディックデスメタルという音楽が最初に世に現れたときには、「メロディックデスメタル」という名称(=枠組み)は存在していなかった。「デスメタル+明快で叙情的なメロディ」という要素をもつバンドがある程度多くなってきたときに、初めてそれらのバンド群を束ねる枠組みが見かけ上存在するように思えるようになったのである。ジャンルというのは本来、枠組みではなく要素のこと、あるいは単に共通の要素を持ったものの集合なのだ。だから、別々の要素を同時に持ったアーティストは当然別々のジャンルに同時に分類され得る。「ジャンルの垣根を破壊」などはよく使われるフレーズだが、そんな垣根など元々存在しないのである。背後に絶対的に系統樹が存在する生物の分類などとは違うのだ。
 以上のようなことは、例に出したメロディックデスメタルのようにある程度細分化されたジャンルで特に顕著なのだが、もっと大きなジャンル、例えばメタルとジャズだとか、さらには音楽と絵画というような分類に関しても実は同じである。音楽と絵画ぐらいにかけ離れると、ジャンルの壁とでも言うべきものが厳然と存在するように見えるが、これは物理的な要因その他のために、双方に共有される要素がほぼ皆無となってしまうからと言うこともできる。
 長々と偉そうに語ってみたが、本当はごく当たり前のことで実は大抵の人がわかっていることではないかと思う。「〜という要素をもったもの=○○(←ジャンルの名称)」みたいな言い方は普通にされるし。というわけで、私自身の「ジャンル」に対する姿勢というのは、「どうせ見かけにしか存在しないんだから反発も固執もせずに、便利な説明用の道具として使えばいいんじゃねえの」というものである。

 まあ、こんなところで表明してみたって何の意味もないのだけれど。


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