きったねえおばはん

 朝から教習所に行くが、配車券をもらったらそこに記された指導員の名前がいつぞや頭の悪そうな授業をして私を辟易させた無能なおばはんで、教習が始まる前からうんざりする。で運転を始めてみると前回から少し時間が空いて緊張していたためかややもたついてしまい、その先に停車したところで長々と(といっても教習時間もあるので長さにしては5分ぐらいのものだったと思うが)説教を食らう。これがまた以前の授業と同様要領を得ず的を外しまくっている上に無闇に説教臭い(いやまあ勿論説教なんだが)ので心底鬱陶しく、不可思議な化粧(黒い目ばりとショッキングピンク!の口紅)の乗った醜悪なツラ(横に広がった泉ピン子のよう)を直視するのにも耐え難いものがあったので、そっぽを向きながら適当に聞き流していたら(こう見えて私には謙虚なところがあり、「わかり切ったことばっかり抜かして悦に入ってんじゃねえ糞が」と思いつつもひょっとするとわかり切っていないことがないとは限らないので、一応語られる情報を選別してから聞き流している)何か知らないが怒り、おばはんの話はヴォリュームとヴォルテージを上げたうえますます要領を得ずますます的を外しますます説教臭くなる。物理的手段によって黙らせてやろうかとも考えるが、私は温厚で非の打ち所のない紳士であるので、「高邁な思想に基づいた非常に為になる御説教を拝聴して了解したような振りをして差し上げる」という極めて平和的な方法によってもはや説教とも何ともつかなくなってきた奇怪な音声を打ち切った。やれやれ馬鹿の相手は疲れるな。このせいで今日は一日何だか機嫌が悪かった。そういやこのおばはん、効果測定を受けた時の係でもあって、そこでも私の誤答について全くピントのずれた説教をかましてたな。全くもって馬鹿は度し難い。クビにしてくれよ自動車学校。
 ところで説教好きの方々というのは概して頭の悪い性質を持っているように思う。と言うより頭のよさそうな説教というのは未だかつて聞いたことがない。彼らが一言言えば済むようなことを大袈裟にくどくど延々と語り続けたがるのは、「一言言えばわかる」ということを自分自身が体験したことがないからであろう。自分の頭が悪く、「一言言えばわかる」ということを感覚として有していないために、他者が「一言言えばわかる」ということが信じられず、相手に自分と同じ読解力しかないと信じ込んで得意げにあのような下らない話をしてしまうのではないか。またそれには、一発でわからないことを話すことによって自分で再確認するという意味もあると思われる。何にしろ付き合わされる方は堪ったものではない。