うんこ大行進

 と駕籠先生にメールを出したらすぐに返信が来て「是非参加してください」とのこと。私はもう有頂天。午後の空き時間はずっとうんこについて考える。
 どんなうんこを描けば良いのか。他ならぬ駕籠先生の同人誌であるのだから、凡百のうんこで誌面を汚すようなことは絶対にできない。「革新的なうんこ」の可能性。しかしながら、うんこの形自体をいじることで新しいうんこを作り出すことは実質的に不可能である。なぜならうんこは基本的には粘土と同じ素材であるからだ。いかにうんこで新しい造形を創ろうが、それは「うんこで造形をした」というだけであり、「新しい形のうんこ」とはなり得ない。それは単なる「新しい造形」なのだ。
 その点巻き糞というのは凄い。あのような形のうんこを自然に目にすることなど絶対にあり得ず、にもかかわらずあのとぐろを見れば誰しもが「うんこだ」と思う。それほどにうんことして認知された形である。あれは「新しい造形」ではない、「新しい形のうんこ」だ。
 あの形を「新しい形のうんこ」として定着させたものは何か。それは物語、その中の説明、あの形のうんこが使われるシチュエーションだ。具体的に言えば「アラレちゃん」。そして他の物(ソフトクリーム)との関連。(16世紀の西洋画に既にあったという話もあるが、今の日本においてはこう言って良いのではないか?)
 つまりあの新しい形のうんこにインパクトを説得力を持たせたのはやはり造形自体ではなく、それの置かれたシチュエーションなのである。そして駕籠真太郎先生の作品の中でうんこが持つインパクトというのも結局のところそういうことだ。まあ、至極当たり前のことであるが。ありふれた物にインパクトを持たせるのは周囲との関係である、ということ。
 つまりは私も、変にうんこをデザインしようと考えるのではなくその周囲のシチュエーションを考えればよい。ただし、物語的な猟奇的・偏執狂的シチュエーションということであれば、そんなものは駕籠先生には到底敵うわけもなく、私ごときの出る幕ではない。私が考えるべきはもっと絵画的なシチュエーションだ。まあ要するに基本的ないつものやり方(アイディアの出し方)だな。
 というところまで考えると急に楽になり、うんこ絵に使えそうな着想を幾つか得る。今後もっと湧いてきそうな感触はあるから、あとはこれらを纏め上げる構図を思いつくのを待つのみ。駕籠先生と同じ本に載るなどもう夢のようなチャンスだから、いいのを描いてやりたいね。


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