粘膜

 何やら先輩が胃の検診に行って胃カメラ写真をもらって来たそうで、こんなものを楽しんでくれるのはあんたぐらいだとか何とか言いながらそれを見せてくれた。はて妙な話だ。こういう内臓写真とかその手のものは私に限らずたいがいの人が好きなのではないのか。ドラえもんが嫌いだという人が滅多にいないように。炒飯が嫌いだという人が滅多にいないように。まあそういった素朴な疑問はさておき非常に楽しい写真であった。赤い血管が縦横に浮き出た肌色の粘膜、部分によって皺があったりなかったり。表面は粘液でてらてらと光りところどころに泡が浮いている。食道の奥に見える肛門のような噴門。普段滅多に見ることのない他人の体内の粘膜だと思うとなにやらエロティックな香りも漂う。さらには組織採取した時に胃の内壁からぷちゅっと血が出たとかいやいや痛くはなかったんだけどねとかいう話をしてくれたりして素晴らしい。
 というところで思い出されるのはやはり去年盲腸の手術をした(された)時のことである。私はせっかくだから起きたままで手術してもらうことを選択し、途中肩の凝りと腹の痛み(麻酔が効いている範囲の直前あたりがなぜか痛かった)に耐えかねて眠らせてもらうまでは覚醒していたわけだが、その時手術されている場所がどうなっているのかを一目見ておきたかったと未だに後悔しているのだ。自分の臓物が引きずり出されている様などを見る機会はそうそうあるものではない。手術中何か腰のあたりが引っ張られるような感触がしたので「今どうなっているんですか」と訊くと麻酔科のねえちゃんは言いにくそうに言葉を選びながら(そんなもん変な気を遣わなくてもよろしい)「今腹を開いて腸を引っ張り出して患部を探しているところです」というような意味のことを答えてくれたので、「ああそれは是非見たいですね」と喜んだ私だが、なんか無菌に保つための仕切りがあるため直接見ることはできないと言われてがっかり。じゃあ鏡とかデジカメとかどうですかねえなどと話していたのだが結局実現せず、全くこれでは何のための手術だかわからないではないか畜生め。救急車で運び出される前になんでデジカメを持ち出すことを思いつかなかったのかと自分を責めたりもするが、腹痛で死にそうになっている時にそんなことを考えつく余裕などあるはずもなく、こういうことは普段から心構えをしておくことが大切なのだなあと思ったり。そんなことを考えても後の祭りでもう盲腸さんは腹にいないのであった。ほんとにあの時は惜しいことをした。
 でもそういえば切除した盲腸の写真(通常の3倍ぐらいの長さがあり珍しいので写真を撮ったのだそうだ)はMOに焼いてもらったんだったな。うちにMOがないからまだ一度も見たことがないのだけれど。どうせなら現物が欲しかったのだが、残念ながら医者にそう言った時にはもう廃棄されていた。これもあらかじめ言っておけば良かったな。惜しいことをした。
 読者諸氏にはこんな後悔をせぬよう、いつ病気になってもいいよう心構えをし、いざとなったら先手を打って行動できるようにしておくことをおすすめする次第である。


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